2012年02月07日

一つ先の考え

エコカーが売れている。
いまやエコでなければクルマに非ず、てな感じだ。
ところでどこまでアタマ使って考えているのだろうか?

業績をV字回復させた会社の車の宣伝で
「CO2を出さずに走る」とか言っている。
蓄電池に貯めた電気で走る車のようだ。

アフォだな。その電気を作るのにCO2を吐き出している。
タイミングが少しずれているだけだ。
反論の「原子力(発電)ならCO2を排出しない」とかあるが
恐ろしいほどアタマで考えてない証左。
その燃料を作るのに結構な量の石油を使うのだから。
(溶剤や燃料、電気、…)

更には蓄電池やモータにはレアメタルを使い
ガソリンのクルマには使わないで良い金属の精製精錬過程が加わる。
もはや作るだけでアンチエコ…ではないのかな?

製造過程でのアンチエコかどうかはイロイロ算定や比較が難しいので
単純に燃費を格段に向上させた第3のエコカーは
軽量化やガソリンエンジンのエネルギー効率を高めた
車の性能向上として評価する。(そんなレースもあったし=>今もあるのか?)

電気自動車はどうも
やはり内燃機関で作られた電気を
空中に発散させながら遠方に運び
面倒な精製が必要な原材料を用いた電池に貯め
文字通り重荷を背負いながら移動する
という無駄にあふれたモノに思えるのは負け惜しみか?

ただ…重い電池もエンジンと異なり形状に自由度が高く
車体底部に置かれる事が多いようだ。
そしてモーターの性質として低回転域での高いトルクというのがある。
これらの特徴を上手に合わせると結構いいスポーツカーが出来上がる。
峠を走るのが楽しくなるような。。。


次の話題。
バレー(踊る方)の方で17歳の高校生が快挙だそうな。
縁あって幾度か鑑賞する機会はあったが上手下手についてはよーわからん。
「躍動感溢れる」とか「感情の表現が豊か」とかのコメントが
私にはよく分からない。きっとそれらの多寡を多く見た者にしか判らないのだろう。

美醜については多少判る。「動きの滑らかさ」なんてのは
運動の速度、加速度が不連続に変化しないことを指すのだろうし
それは目に映るので私にはわかりやすい。
それこそ手足の長さや形状の格好の良さも
各人の好みとは別に縦横の比率が美しく見えるとかの統計的なものもあるので
その比率に近い長さや形状が「良く見える」のだろう。

んで、ニュースで取り上げられた映像を見た。
後者の美醜に関しては白人尺度のサイズ比率では良くは見えない。
ということはきっと前者の動きキレの良さや感情表現が評価されたのだろう。
彼女ら彼らは手足指先の動きや角度にまで神経を研ぎ澄まして突き詰めるらしい。
脳みそや感情が普通の高校生くらいの成長度合いであれば伸びシロがあるので
これから素晴らしい踊り手になるだろう、ということかな。

単純にコメントしたら
「そこらでチャリ通してそうな女子高生っぽい」
「評価された部分は僕の判らない部分」

言われる前に先に断っておこう
『脚が太いのは魅力を感じない』と。



次のニュース。
揉めている沖縄。
自前の稼ぎが減り、日本にたかったお金で戦争をするアメリカ
「(老朽化した)普天間に代わる新しい滑走路が欲しいな〜」
「え?作ってくれないの??」
「じゃあ、もう日本に最強上陸部隊(海兵隊)を置くのも考え物だな〜」
「脅してもダメなら本気みせちゃろかぁ」
「海兵隊をグアムやフィリピンに少し散らすか!どうや!?」
という会話を妄想をしてしまった。

ちゃんと軍のリソースの再配備を考えたりした結果だとは思ってるけどね。


最後に
2/7は北方領土の日
 政治的なムーブメントとかイデオロギーではない。
2/11は建国記念日だし(振替休日が無く残念ww)
2/22は竹島の日だ。
2月は自分の住む国を改めて見つめたり、考えたりする良い機会と思う。

最近話題の尖閣諸島。
ここは私有地だ。(所有者は埼玉県在住らしい)
日本国の土地で私有財産ならその持ち主は法の範囲内で自由な利用が認められるはずだ。
しかしながら現在日本政府により島を含め周辺には日本人は近寄れない。
逆に中国人漁民は勝手に操業する。

これを他人事と思わずに想像力を働かせて
自分の所有物を他人に勝手に荒らされたり収略奪されることに怒らない?
# 国際標準なら間違いなくライフルか散弾銃か自動小銃のどれかだろう。
国民の生命や財産を守るべき政府は何をしているのか!?と疑問や怒りは無いの?

自分のもらえる年金は考える。自分に縁が無い辺境は考えない。
という自分の該当する利害しか考えられないのが昨今のフツーなのだろう。

「フツー」というレベルは推して知るべし。
posted by あーりー at 02:07| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

デリケートな話だが

酔った勢いという免罪符にもならないかもしれないが、盾にしよう。
奇形児という存在がある。
このような名前で呼ばれるようになる場合、
それは生存が困難なことを指すことが多い。
知らなかったのだが、日本は諸外国と比較しても発生率が高いようだ。

自然の定めた命数が非常に少ないことは神ならぬ存在でも容易に感じるのだが
誰がいつ神の代行をして良いのだろうか?という疑問。

法律論の○○週間というのは誰かが決めた決まりごとなのだが
さかのぼれば十月十日の内、"平均して"この週間には赤子の状態はこんな所
という統計的処理が施された結果なので、
話をするならば「赤子がどのような状態」であれば良いのか?という部分だろう。


誰が死神の鎌を振るうのか。何を基準にするか。
母親または医者には宿した赤子の生命を自由にする権利があるのか?
現実に行われている「奇形児」と「中絶」と「死産だったことにする」こと

望まれない妊娠に対する中絶の是非とは別の話なのだが同じ気もする。

これに関しては各人の生命観や倫理観に根ざした議論になるはず。
…というか、そうでなくてはならないと思う。
でなければモンスターなんちゃらが騒いで、医者か母親か他の誰かが
殺人罪になるような悲しい未来になってしまうかもしれない。
posted by あーりー at 03:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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