2012年02月01日

デリケートな話だが

酔った勢いという免罪符にもならないかもしれないが、盾にしよう。
奇形児という存在がある。
このような名前で呼ばれるようになる場合、
それは生存が困難なことを指すことが多い。
知らなかったのだが、日本は諸外国と比較しても発生率が高いようだ。

自然の定めた命数が非常に少ないことは神ならぬ存在でも容易に感じるのだが
誰がいつ神の代行をして良いのだろうか?という疑問。

法律論の○○週間というのは誰かが決めた決まりごとなのだが
さかのぼれば十月十日の内、"平均して"この週間には赤子の状態はこんな所
という統計的処理が施された結果なので、
話をするならば「赤子がどのような状態」であれば良いのか?という部分だろう。


誰が死神の鎌を振るうのか。何を基準にするか。
母親または医者には宿した赤子の生命を自由にする権利があるのか?
現実に行われている「奇形児」と「中絶」と「死産だったことにする」こと

望まれない妊娠に対する中絶の是非とは別の話なのだが同じ気もする。

これに関しては各人の生命観や倫理観に根ざした議論になるはず。
…というか、そうでなくてはならないと思う。
でなければモンスターなんちゃらが騒いで、医者か母親か他の誰かが
殺人罪になるような悲しい未来になってしまうかもしれない。
posted by あーりー at 03:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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