2013年01月14日

たまには書いてみようかと

雪が降った。
思えば自分の成人式の日も雪に見舞われた。
と記憶を掘り起こしただけなのに
「男はどーでも良い。女の子は大変だ、気の毒だ」と突っ込まれる。
まあ、その通りなのだろう。

記憶をたどっても着ていたのは普通のスーツだし、
その後はビリヤードをしたり酒を飲んだりしかしてないし。
まあ、振袖は大変だな、と。
車で送迎とかも、結構な大雪なので、大変だ。

まあ成人式を迎える頃は自分へのインストールが
キツくなってきていたのを覚えている。
覚えることが高度になってきたこともあるけれど
それよりもモチベーションの維持に苦労した。
「なんのためにつらい勉強をするのだろう?」と。

その答えは人それぞれ。今の自分はその問いに答えを出し
結果として、それなりのものを手にした。
ただ、今思うのは、どんな高速処理が出来るCPUを
積んでいても、その答えを出すには時間を要す。
答えが無いままでも答えを探しながら走り続ける
なんてことをやっていた。
後々それは次善策程度には正しかった、と及第点を自分に出すのだが。

成人なんてのは「大人の出発点に立ちました」程度。
大人としてビギナーであるけれど大人とは何かを教えてもらう年ではない、
自分で見聞を広め答えを探し、立派な大人になることが求められている。

と思っているのだが、どうも「大人の出発点」というのが
レベルが低いところを指しているように誤解されやすいですな。
大人として最低限のことは既に身に着けている、これから立派な大人になります。
という意味で私は使うのだけど
大人になる出発点、大人としての必要なことはこれから身に着けます。
という意味で使っている人間の多いこと多いこと。改めて欲しいなり。

そういう意味で言えば立派な大人になるのは大変だし
世の中に果たして立派な大人がどれほど居るのか疑問ではあるが、
少なくとも人様に迷惑を掛けず不快にさせず、
出来うるならば人様にお役に立ち、生活できる程度の幾ばくかのお給金を頂く
というあたりを考えるのだが、
最後の段が景気や運という自力では如何ともし難いものに左右される現実もある。

やはりチャンスの神に後ろ髪は無いのだし、
棚ぼたといえども棚の下まで歩かなきゃ牡丹餅は得られない。
廊下を歩いて就職口を拾った、ではなく、就職先を求めて廊下を彷徨う、
くらいに、得たいものに喰らいつく努力は就職のタイミングだけではなく
一生ついてまわるのだろう。

重要なのは何時それが訪れるか判らないのだから
チャンスが訪れた時のために
それを捕まえる基礎能力を身に着けておくことだけはしておいた方が良い。


posted by あーりー at 19:08| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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